うつヌケしたのに心が空っぽ【毒親ロールモデルファシリテーション】
今の私はたぶん鬱から脱出したんだろうけど、心が空っぽになったような気がしている。
自分の個性というか、自分らしさというものが全くない人間。
理想の人物を探すけど、なぜかピンとくる人が見つからない。
自分はどう生きたいのか、具体的にどんな行動を起こしたらいいのか分からない。
そして相変わらず家に閉じこもっている。
鬱になる前の私はどちらかというと行動力のある人間だった…と思う。
私の原動力は一体どこに行ったのだろうと考えてみた。
私は毒親育ちで「自分の親みたいになりたくない」と思ってずっと生きてきた。
親みたいになりたくないから、必死で勉強して、仕事も頑張れた。
それが私の原動力で生きる糧だった。
そして結婚して、息子が出来て「私はあんな親には絶対にならない」とさらに固く心に誓った。
息子には自分がさせてもらえなかった経験をいっぱいさせて、たくさん抱きしめて、褒めて、認めて、愛すると決めた。
自分の感情に任せて怒らない。息子が本当に悪いことをした時だけ、なぜ悪かったのかきちんと説明して目を見て叱る。
私はそれが出来ていると思っていた。「私と親は違う」と思うことが出来ていた。
でもある日、ママ友から子育てを否定されて、
「親のやっていたことが正しいの?所詮、私もあの親と同じになるのか」と思い、自分が信じてきたものが崩れ、自己が崩壊した。
そして鬱になった。
「〜しない」という回避目標はうまくいかなかった時、鬱になりやすいらしい。
だから私は「親みたいになりたくない」という回避目標を手放すことにした。
だけど、理想の親が分からない私には、具体的にどう子育てしたらいいのか分からない。
毒親にならないために子育ての本やネットの記事を読み漁った。
どんなに読んでも理想の親が具体的に想像できない。ぼんやりとしか分からないのだ。
こんな風になりたいという理想、目指すものがないことはしんどい。
どこに向かったらいいのか分からないまま走り続けることは難しかった。
そして今思うのは、私が子供の時からずっと強く思ってきた
「親みたいになりたくない」というこの思いは
そう簡単には手放せないのではないかということだ。
小学生の時からずっと思ってきたから、もう30年近くこの思いと共に生きてきた。
親から理不尽に怒られた時、人格否定された時、言葉のサンドバックにされている時、必ず心の中でつぶやいた。
「わたしは親みたいにならない」
大人になってからも、仕事が大変な時この言葉を思い出して歯を食いしばった。
この言葉は私の人生の唯一の光で、生きる糧で、もはや私自身を形作っているものだったのだと思う。
もっと心が安定して、理想の自分が見つかり、自然に手放せる時が来るまで、
私はやっぱりこの危険な回避目標と共に生きていくしかない。
そして、今日メンタリスト DaiGoさんの動画を見てヒントを得た。
集中力アップのための方法だけど、私の人生の目標にも使える気がした。
回避目標を設定した場合は、ネガティブなロールモデルを想像したほうが効果が高くなるらしい。
避けたい嫌なキャラクターになってしまった自分を想像することで、それを反面教師にして、具体的に自分がどんな行動を起こしたらいいのかが分かるという方法。
失敗して、見るも無残な自分を想像したほうが自制心が働いて集中力が上がるんだとか。
なってはいけない姿で具体化出来る人物…。
真っ先に思い出したのは「うちの親」。
回避目標
「自分の親みたいになりたくない」
自問自答
1そのロールモデルは達成したいゴールに適しているか?
最適。
2そのロールモデルが回避目標に合っていると思った理由
絶対にこういう親(人間)になりたくないと思うから。
3ロールモデルの行動や性格を形作った要素は何か?
●モデル1(父)の行動と性格
無責任で自分勝手、仕事しない、税金年金滞納、毎日開店から閉店時間までパチンコ屋に通う、社会的に見てもクズ、パチンコをするためなら借金、嘘、窃盗も平気で出来る、家族に無関心、家族に迷惑をかけることに抵抗がない、KY、無口、たまに口を開けば人を傷つける言葉しか言わない、家族の前でなぜか偉そうにする、歯を磨かない、虫歯だらけ、身だしなみを整えない、見た目浮浪者、親に甘やかされている、人付き合いが出来ない、友達がいない、気味が悪い
●モデル1(父)を形作った要素
不明
鬱?統合失調症?(パチンコへ行けと頭の中で命令されるらしい)
知的障害?発達障害?アスペ?(仕事が出来ない。周りの人と合わせることが出来ない)
向上心や自制心、思いやりなどの感情が一切ないため、生産性のないゴミ屑人生しか送れない??
モデル2(母)の行動と性格
アル中、行動力・判断力がない、情緒不安定、怒りっぽい、ヒステリー、不満・悪口しか言わない、すべてに否定的、上手くいかないことは全部人のせい、なんでも人(子供)にやってもらうのが当たり前、悲劇のヒロイン体質、子供にすぐ八つ当たり、親には気を使うが子供には傍若無人、他人の前ではいい人、友達がいない、子供に依存(子供の独立を妨害する)、子供の話は無視か聞き流すが基本。でもゴミ箱を漁ったり、手紙などは勝手に見る
●モデル2(母)を形作った要素
ゴミ屑夫への不満、姑との不仲、お金がないことへの不安、余裕の無さ
4その人物から具体的に学べることは何か?
●モデル1(父)病気なら治療する。仕事をして社会に貢献する。自分の能力を活かせる仕事をする。家族を大切にする。子供に愛情を持つ。自分の子供への責任感を持つ。ギャンブルはしない。私利私欲だけを求めない。税金年金を払う。借金をしない。嘘をつかない。お金を盗まない。家族に敬意を払う。歯を磨く。身だしなみを整える。気の合う友達を作る。友達を大切にする。愛想・感じよくする。
●モデル2(母)判断力、行動力を養う。心の余裕を持つ。子供の人格を尊重する。認める。
人のせいにしない。自分の人生に自覚、責任感を持つ。嫌なことがあってもお酒に逃げない。気の合う友達を作る。友達を大切にする。
5後悔を語ってもらう。
●モデル1(父)「やるべきこと(仕事、治療)をやらずに、自分勝手な生活(パチンコ通い)を送っていると、周りから人が離れ、子供から軽蔑され、生きてる価値のないウジ虫以下の存在になるよ。人間でいたいならきちんと生きよう」
●モデル2(母)「判断力がないから親に言われるがままお見合いして、結婚してしまった。行動力がないから離婚も出来ない。金銭的に苦労し、心に余裕がなく、子供に愛情をかけてあげることが出来なかった。上手くいかないことは全部子供のせいにして、人格否定や八つ当たりをしていたら、子供が精神的に病んでしまった。あとお酒に逃げても何も解決しないよ」
理想の親は想像できないのに、なってはいけない姿は具体的に次々と想像出来てしまうこの悲しさよ…(涙)。
こうやって書いていくと、普通に生きていくだけで回避出来そうな気がしてきた。
ネガティブなことを書いてるのに、ポジティブな気分になっていく不思議。
最後に自分の書いた記事を読み返して、重要なことに気がついた。
「親みたいになりたくない」
「私は親みたいにならない」
の2つの言い回しがあることに。
どちらもほぼ同じ意味なんだけど、言葉の持つ前に進む強さが違う!
「親みたいになりたくない」は子供の頃からずっと漠然と思ってきた想いで、
「わたしは親みたいにならない」のほうは、
親から理不尽に怒られた時、お年玉やバイト代を父親から盗まれた時、大学進学を諦めさせられた時などに心の中で呟いてきた言葉。
親からの堪え難い苦痛を感じた時、私は無意識に「より強い言葉」を選んでいたんだ。
「わたしは親みたいにならない」と断言することで、より具体的なイメージを持つことが出来て強い自己暗示になっていたんだと思う。
今のわたしが選ぶべき言葉はこっちだった。
人生の目標
「わたしは親みたいにならない」