母と絶縁したきっかけ。傍若無人な母のLINEと不幸の手紙
エンプティーチェア(空椅子の技法)という心理療法をやって、毒親から解放され、心がすっきりと晴れた。
やり方を教えてくれるYouTubeはこちら↓
アダルトチルドレンの克服方法。毒親育ちによるACの生き辛さを今から2時間後には改善・回復し楽になれるセルフカウンセリング。インナーチャイルド癒しも兼ねたアダルトチルドレンの治し方
「私はもう大丈夫」と思えた途端、鬱になった娘のことを無視していたはずの母から連絡が来た。妹から私が元気になってきたと聞いたからかもしれない。
母から「2ヶ月後に遊びにく」とLINEが来た。
体調大丈夫?などの気遣いの言葉は一切なかった。
せっかくメンタルが安定してきたのに、2ヶ月間も「母が来るの嫌だな」と憂鬱な毎日を過ごすのは精神衛生上良くないと判断した。
来るならせめて今すぐ来て欲しかったが、法事があり、その準備があるから2ヶ月後にしか行けないという母の一方的な都合だった。
母「1月(電話に出なくなった時期)から心配してたから、5月になったら行きたいの」
心配していると言いながら、支離滅裂だった。
心配してたわりに、来るの遅くない?
本当に心配ならもっと早く来るよね?
「2ヶ月後」という母の一方的な都合をまた押し付けてきた。
心配だからという言葉を使って、母はいつも通り自分の要求だけを貫く気でいた。
※母とのトークは削除したので、再現で作ったLINEの画面です↓
ある意味笑えるけど、これギャグとかじゃなくて実話です。
やっぱり私の意見なんて聞いてくれないんだなと思って、呆れた。
そして最後はお決まりの「お母さんこんなに辛いの(泣)」アピール。
実家は飛行機を乗り継がないと行けない距離。
出産後、夫が出張で約1ヶ月不在の時に手伝いに来てほしいとお願いした時も「そんな遠いとこお母さん一人で行けるわけない。来てほしいなら迎えにくるのが当たり前だろ」とお殿様並みの要求を突きつけてきて、迎えに行くのは難しいと伝えると、怒り狂った。
結局、手伝いに来てくれたの夫のお母さんだった。
私が鬱で辛い時に来てくれたのは妹だけだった。
なのに、なんで今更来るとか言い出すのか。
やっと、母から解放されたと思ったのに。
私はどんな時も母の希望通りになるように行動してきた。
だけど私が本当に困った時、母は手を差し伸べてくれなかった。
鬱になった私を無視して、見捨てた。
鬱だと聞いても、母は一度も「体調大丈夫?」の一言を言ってくれなかった。
子供の時からずっと我慢して、努力してきたつもりだった。
正直しんどいこともあったけど、それでも父とは違い、母だけは私のこと大切にしてくれると思っていたから。
でも、もう限界だった。
私の心の中のコップの水は溢れ出した。
初めて母に逆らった。
今回だけは母の思い通りにさせたくなかった。
「来て欲しくない」という自分の気持ちを伝える時、緊張して指が震えた。
だけど必死の思いで送った私の希望さえも聞き入れられなかった。
私はそのまま既読スルーした。
2ヶ月後、母は来なかった。
その代わり、謝罪の手紙が届くようになった。
内容は上辺だけの謝罪と、ありきたりな綺麗事を並べただけのただの自己満足の手紙。
「仕事が忙しくてかまってあげられなくて、ごめんさい。
あなた達姉妹は私にとって自慢の娘で、大切な宝物です」
母は相変わらず問題の本質が見えていなくて(もしくは見ないようにしていて)、「自分は普通の母親で、今まできちんと育ててきました」みたいな顔をして書いているのが透けて見えた。
母からの手紙は、私の心に響かなかった。
良心に訴えかけ、またしばりつけようとしてくる不幸の手紙だと思った。
一度は毒親から解放されたはずのに、今もなおモヤモヤしている。
この気持ちをブログを書くことですっきりさせたい。
書いても書いても言い表せないこの嫌な感情を自分の中からすべて吐き出したい。