今まで育ててくれた母を捨てる罪悪感の処理の仕方【夢を捨てて幸せになる方法】
メンタリスト DaiGoさんの 夢を捨てて【幸せになる方法】 - YouTubeを見て、私は出来ているかなと考える。
普通に親から愛され、大切にされてきた人達は当たり前のように言う。
「親なんだから、きっと分かってくれるよ」
「子供のこと心配しない親なんていないよ」
相談に乗ってくれた人達は、みんなそう言って励ましてくれた。
うちの親は話しを聞いてくれないし、頼りにならないと子供の時からよく分かっていたはずなのに、私はその言葉を信じたくて何度も母に助けを求めてしまった。
今度こそ心配してくれるんじゃないか、大切にしてもられるんじゃないかと。
だけど、一度も心配してくれることも助けてくれることもなく、その度にことどこく否定されて絶望してしまった。
もう親に期待しない。
悲しい言葉だけど、毒親を持った子供が幸せに生きるためにはこれしかないと思う。
世の中にはいろんな親がいて、
社会に貢献するような立派で尊敬できる親もいれば、
犯罪を犯して刑務所に入る親もいる。
お金持ちで何不自由ない暮らしをさせてくれるけど、過干渉で子供の人権を認めない親もいれば、
シングルマザーでお金に苦労しながらも愛情深く育ててくれる親もいる。
子供を捨てたり、虐待して子供を殺してしまう親もいる。
いろんな親がいて、たまたま私の親はギャンブル依存症のクズの父と、問題解決能力がなく、自分の不幸を子供や他人のせいにして生きることしかできない弱い母だっただけだ。
ここ数日間ずっと過去の出来事を書いてきたおかげで、母から認められたいという執着心はなくなったように思える。
残っているのは、今まで育ててくれた母を捨てる罪悪感だけだ。
また母に会ったり、電話で話したりしたら、人格否定されて傷つく。
「あんた達のせいでこんなに苦労したんだから、親孝行しなさい」と母の不幸の原因も責任も押し付けてくる。
だからもう会いたくない。関わりたくない。
今は自分の人生を生きる。
目の前のことをきちんとやる。
もう過去のことは考えない。
今を生きる。
そしたらいつか母を許せる日がくるかもしれないし、来なきゃ来ないでそれはしょうがないと思おう。
今、生きているこの人生は、私の物なのだから。
親に会うか会わないかは、自分で決めてもいい。
自分の人生なんだから、自分で選んで生きていくことが出来る。
今日もソファーから立ち上がって、散歩に出る。
掃除をする。料理を作る。
子供と遊んで笑う。
お母さん、私はあなたから離れることで、普通に生活が出来るようになってきたよ。
私は自分で選んで行動して、自分の人生を幸せに生きています。
【筆記開示】毒親と決別したい。アルコール依存症の母
メンタリスト DaiGoさんの人間関係の【ストレスに振り回されなくなる】メンタルテクを見て、今日も「筆記開示」を実際にやってみます。
というかここ数日間、すでに毎日やっているこの方法。
「筆記開示」とは人間関係における嫌なことをリセットするメンタルテクニック。
過去の嫌なことが頭の中でフラッシュバックしたり、中途半端に思い出すと、頭の中で尾びれがつき、エスカレートして苛まれる。そしてメンタルが病んでいくらしいです。
確かに、私はここ1年半以上ずっとそうでした。
ずっと1日中、過去の嫌な出来事を頭の中でぐるぐると考えていました。
考えるというより、勝手に思い出してしまう。そして連想ゲームのようにどんどん嫌な出来事が繋がっていって、さらにしんどく、苦しくなっていく。
だからその地獄から脱出するために、自分から積極的に、明確に詳細に嫌なことを思い出して書く。
人とのトラブルが起きた時の状況「言われた言葉」や「その時の感情」、「声のトーン」や「相手の表情」など細かい部分まで思い出して、書いていくと効果があるらしいです。
私は一酸化炭素中毒で死にかけた時でさえも、母から心配してもらえず、理不尽な怒りをぶつけられている。
まだ実家に住んでいる時に私は陶芸教室に通っていて、一酸化炭素中毒を起こし意識不明になり、救急車で運ばれたことがあった。
そこの陶芸窯では炭を使っていて、おじいちゃんの先生はその日、換気扇を回すのを忘れていたらしい。
数時間後には意識が回復したが、倒れた時の酸素濃度が脳に障害が残るレベルだったらしく、私はICUに入院した。
病院に母がかけつけてくれた。
私は母がわざわざ来てくれたことが意外で、嬉しかった。
でもベッドに横になってる娘に向かって言い放った母の言葉は、今でも忘れない。
「まったく急に倒れるから迷惑なんだけど!あんたのせいでおばあちゃんに怒られたんだから。晩酌が出来なくなったらどうしてくれるのよ!」
なぜ今この状況で、自分が何を怒られているのか理解出来なかった。
話を聞いていくうちに、母は飲酒運転で病院まで来たらしく、その事を祖母に咎められたことが分かった。
「嫁の癖にいっつも呑んだくれて!いつかこんな事になると思ってた。だから毎晩毎晩そんなに呑むなって言ったんだ」と祖母から言われたそうだ。
パチンコに行っていて不在の自分の息子の事は棚に上げ、母だけを責める祖母もおかしい。このタイミングで、酒を飲む母を責める祖母も論点がずれている。
だけど、こんな時だけはその矛先を私に向けないで欲しかった。
最後に母は「あんたが夜に陶芸教室なんかに通うのが悪いのよ!」と言い放って、帰って行った。(たぶんまた飲酒運転で…)
飲酒運転なんかせずにタクシーで来ればいいだけだと思ったが、私はとても疲れていて、眠たくて何も言わなかった。
入院中のベッドの上でさえ、優しい言葉をかけてもらえず、理不尽な理由で責められた。
母にとって、もっとも心配なことは酒が飲めなくなることだと感じた。
母にとって、娘の命は晩酌以下だった。
母はアルコール依存症だった。
嫌な記憶は、徹底的に考えたほうが立ち直りが早くなる。
折れた心が回復する力(レジリエンス)が高まる。引きづられなくなる。
まさにその通りだと思う。
ここ数日間、このブログに書いてきた嫌なことは不思議と思い出さなくなっている。
ずっと頭の中から離れなくて、何度も何度も思い出して、辛い思いをしていたのに。
思い出して書いてる時は涙が出てくるけど、書き終わってしばらくすれば、自然と忘れられる。
そんなに大したことじゃなかったと思える。
そう、世の中の大抵のことは大したことがないんだ。
母と絶縁したきっかけ。傍若無人な母のLINEと不幸の手紙
エンプティーチェア(空椅子の技法)という心理療法をやって、毒親から解放され、心がすっきりと晴れた。
やり方を教えてくれるYouTubeはこちら↓
アダルトチルドレンの克服方法。毒親育ちによるACの生き辛さを今から2時間後には改善・回復し楽になれるセルフカウンセリング。インナーチャイルド癒しも兼ねたアダルトチルドレンの治し方
「私はもう大丈夫」と思えた途端、鬱になった娘のことを無視していたはずの母から連絡が来た。妹から私が元気になってきたと聞いたからかもしれない。
母から「2ヶ月後に遊びにく」とLINEが来た。
体調大丈夫?などの気遣いの言葉は一切なかった。
せっかくメンタルが安定してきたのに、2ヶ月間も「母が来るの嫌だな」と憂鬱な毎日を過ごすのは精神衛生上良くないと判断した。
来るならせめて今すぐ来て欲しかったが、法事があり、その準備があるから2ヶ月後にしか行けないという母の一方的な都合だった。
母「1月(電話に出なくなった時期)から心配してたから、5月になったら行きたいの」
心配していると言いながら、支離滅裂だった。
心配してたわりに、来るの遅くない?
本当に心配ならもっと早く来るよね?
「2ヶ月後」という母の一方的な都合をまた押し付けてきた。
心配だからという言葉を使って、母はいつも通り自分の要求だけを貫く気でいた。
※母とのトークは削除したので、再現で作ったLINEの画面です↓
ある意味笑えるけど、これギャグとかじゃなくて実話です。
やっぱり私の意見なんて聞いてくれないんだなと思って、呆れた。
そして最後はお決まりの「お母さんこんなに辛いの(泣)」アピール。
実家は飛行機を乗り継がないと行けない距離。
出産後、夫が出張で約1ヶ月不在の時に手伝いに来てほしいとお願いした時も「そんな遠いとこお母さん一人で行けるわけない。来てほしいなら迎えにくるのが当たり前だろ」とお殿様並みの要求を突きつけてきて、迎えに行くのは難しいと伝えると、怒り狂った。
結局、手伝いに来てくれたの夫のお母さんだった。
私が鬱で辛い時に来てくれたのは妹だけだった。
なのに、なんで今更来るとか言い出すのか。
やっと、母から解放されたと思ったのに。
私はどんな時も母の希望通りになるように行動してきた。
だけど私が本当に困った時、母は手を差し伸べてくれなかった。
鬱になった私を無視して、見捨てた。
鬱だと聞いても、母は一度も「体調大丈夫?」の一言を言ってくれなかった。
子供の時からずっと我慢して、努力してきたつもりだった。
正直しんどいこともあったけど、それでも父とは違い、母だけは私のこと大切にしてくれると思っていたから。
でも、もう限界だった。
私の心の中のコップの水は溢れ出した。
初めて母に逆らった。
今回だけは母の思い通りにさせたくなかった。
「来て欲しくない」という自分の気持ちを伝える時、緊張して指が震えた。
だけど必死の思いで送った私の希望さえも聞き入れられなかった。
私はそのまま既読スルーした。
2ヶ月後、母は来なかった。
その代わり、謝罪の手紙が届くようになった。
内容は上辺だけの謝罪と、ありきたりな綺麗事を並べただけのただの自己満足の手紙。
「仕事が忙しくてかまってあげられなくて、ごめんさい。
あなた達姉妹は私にとって自慢の娘で、大切な宝物です」
母は相変わらず問題の本質が見えていなくて(もしくは見ないようにしていて)、「自分は普通の母親で、今まできちんと育ててきました」みたいな顔をして書いているのが透けて見えた。
母からの手紙は、私の心に響かなかった。
良心に訴えかけ、またしばりつけようとしてくる不幸の手紙だと思った。
一度は毒親から解放されたはずのに、今もなおモヤモヤしている。
この気持ちをブログを書くことですっきりさせたい。
書いても書いても言い表せないこの嫌な感情を自分の中からすべて吐き出したい。
アダルトチルドレン回復法2【エンプティーチェア実践編】
妹と親について話合い、妹に救われた私は、前向きな行動を起こせるようになった。
アダルトチルドレンで検索して、YouTubeのおすすめに出てきた動画「アダルトチルドレンの治し方完全版」をやってみることにした。
この動画で紹介されているアダルトチルドレンの回復法「エンプティーチェア(空椅子の技法)」とは、自分の向かいに空の椅子を置き、そこに自分の話したい相手が座っていることを想像し、話し合うという心理療法。
自分が話したら向かいの椅子に移動し、相手になった気持ちで話す。一人二役を演じる。
正直、スピリチュアルっぽくてちょっと嫌だなと思ったのですが、実際にやってみました。
クッションを2つ用意するまではすぐに出来たけど、緊張してなかなか話し始めることが出来なかった。
飼い猫がやってきて、見守ってくれているんだなと思ったら突然出来る気がして、深呼吸を5回してから話し始めた。
猫は窓の外の雨を眺めていた。
「お母さん、今日は言いたいこと全部話すね。」
誰も座っていないクッションに向かって、私は話した。
父への憎しみ、兄弟格差、家が貧しくて惨めな思いをしたこと、進路を自分で選ばせてもらえなかった恨み、大好きなおばちゃんの悪口を聞かされ続けて嫌だったこと、頑張っても褒めてもらえなかったこと、愚痴ばかり聞かされたこと、いつも八つ当たりされて辛かったこと、母の不幸の原因にされて責められてこと…直接言えなかったこと、今までの不満すべて口に出した。
母役を演じて話すのは難しかった。
なかなか言葉が出てこなくて、「お母さんだって辛かったのよ。分かってよ」ばっかりになった。
言いたいことは全部言えたかなと思い、
「これから私は、私の人生を生きていきます。バイバイお母さん」と最後に言った。
その瞬間、窓から光が差し込んできた。
まるで映画のワンシーンのようなタイミングだった。
私は毒親から解放された。この瞬間を忘れないようにしようと思った。
雨は上がった。
私の心はすっかり晴れた。
King Gnuの白日を聞きながら、息子を幼稚園に迎えに行く。
帰り道、遠くの空には虹がかかっていた。
さっきあの瞬間に見たかったなと一瞬思ったが、息子と今、この虹を見ることが出来たことに意味があると感じた。
引きこもって、約1年のことだった。
長いように感じたけど、たった1年だった。
たった1年だったのかと感じた。
毒親から解放されて、心が満ち足りていった。
何もなけれな、私の鬱はここで、このまま治っていったと思う。
だけど、それをあの毒親は許さなかった。
離れていくと感じたとたん、毒親は優しくなり、執着し始めた。
このエンプティーチェアという方法はもう二度と会わない人にしか効かないらしい。
母から会いに行くと連絡が来た途端、私はまた毒親に囚われ始めた。
アダルトチルドレンから回復した方法【妹と毒親への気持ちを共有する】
夫も友達も、誰も分かってもらえなかった私のアダルトチルドレンの話。
完璧に分かってもらえる人がすぐ身近にいました。
それは同じ親から生まれ、ずっと一緒に育ってきた妹。
心配をかけたくなくて、妹に鬱の話はしてこなかった。
でも妹は心配して飛行機に乗って会いに来てくれた。
子供の時から仲は良かったけど、親のおかしな言動について姉妹間で話をしたことはなかった。
家がおかしい、親が普通じゃないってことはどこかで分かっていたけど、なんとなくタブーだった。私たちは誰も親のおかしさに触れなかった。
姉妹の間だけは普通でいたかったのかもしれない。
親についての話を一度もしないまま、私たちは大人になった。
そして30代になった今、初めて自分達の親について話した。アダルトチルドレンのことも妹に話した。
当たり前だと思うかもしれないけど、一緒に暮らしてきた妹は私の気持ちを誰よりも理解し、共鳴してくれた。
「親みたいになりたくない」という人生の目標も一緒だった。
だたひとつ違ったのは、妹にはその先があった。
「親みたいになりたくない。だから絶対に幸せになってやる」
私は自分が幸せになることなんて考えたことなかった。
そこで初めて「私は幸せになっていいんだ」と思えた。
妹は私の話を聞いて泣いてくれた。
「あんな親から生まれたせいで、お姉ちゃんの人生がダメになるのはもったいないよ。
だから私たちは幸せになろう。
私たちはあの人達と違うよ。
私たちはあんな風にはならない」
母みたいになりたくないと思って生きてきたのに、気がついたら自分もあの母のような人間になっていた。
結局、私もあの人達と同じになるのかと思った時、信念は崩れ、自信を失い、どう生きていいかわからなくなっていた。
「あんな親のもとに生まれて本当に嫌だったけど、でもお姉ちゃんと家族になれたことだけは感謝してる。私はお姉ちゃんがいてくれて本当によかったと思ってるよ」と妹は言ってくれた。
その言葉で私はまた自分らしく生きていける気がした。
妹が私を救ってくれた。
毒親に鬱だと告白したら、どうなるのか?【毒親エピソード】
自分の親が毒親だと、誰にも本当の悩みを相談出来ないし、本音を話せない。
家に夫や子供がいる間は泣かないように気を張っていた。
「死にたい」と思っても夫には話せなかった。
相談に乗ってくれる友達もいたけど、本当の暗い部分は話せずにいた。
「最近、少しづつよくなってきたよ」
心配かけないように、鬱が伝染してしまわないように辛い時もポジティブな返信を返すように心がけていた。
だけど、そんな風に装うのも疲れて、家族や友達、知り合いすべての人全員と連絡を絶った。
娘に電話をかけても出ないことに母は怒り、妹、うちの夫、夫の実家などに「娘と連絡が取れない」と大騒ぎし始めた。
妹は「お姉ちゃん鬱って書いてあるよ」とフォローしてくれたが、母は私が鬱かどうかなんて心配しておらず、とにかく娘から無視されている悲劇の母アピール全開だっだようだ。
夫に迷惑がかかると思った私は母に今の状況をラインをした。
そして、もしかしたら心配して様子見に来てくれるんじゃないかと、バカな私はまた淡い期待してしまった。
「今、鬱状態で一日中ソファーに座って泣いている。電話もラインも負担だからしばらく控えてほしい」
心配してくれる友達にも夫にも誰にも言えなかった「本当の今の自分の姿」を母にだけ伝えた。
突然ですが、ここで問題です。
毒親に鬱だと告白したら、どうなると思いますか?
正解は、「この嘘つきが!」とキレるでした。
「夫さんや向こうの義理母さんから聞いた話と違う!この嘘つきが!」と怒り出した母。
私は信じてもらえなかった。
勇気を出して送った必死のメッセージは、嘘だと思われた。
その後、しばらくして心配した妹が仕事を休み、飛行機に乗って会いに来てくれた。
本当に鬱だとわかったら、もしかしたら母も一緒に来るんじゃないかとまだ思っていた。
ここでまた、問題です。
本当に娘が鬱だと分かったら毒親はどんな行動をとるでしょうか?
正解は、「しばらくほっとくわ。あんな子」と無視するでした。
本当に鬱だと分かると、電話ライン攻撃は終わり、無視された。
母は自分に返信がこないことだけが心配で、私の体調のことは一切心配していなかった。
今となってみれば、母の心理はなんとなく分かる。
娘が鬱だということは母にとって都合が悪いことなのだ。
母はいつも自分が悲劇のヒロインで、娘から心配され、気遣ってもらえる立場にいたかった。
自分のことしか考えられない親達。
父と母の間に生まれたけど、二人は私の親ではなかった。
私はこの時、母とも絶縁することを考え始める。
自分がアダルトチルドレンだと気づき、親への怒りと憎しみが溢れ出す
実家から自宅に戻ってから私は1日中、親から言われて傷ついた言葉やしてもらえなくて悲しかったことを思い出すようになった。
悲しい記憶、悔しい思い出はいくらでも頭の中に浮かんで、決して消えなかった。
毎日、ソファーに座って「鬱の直し方」をひたすらスマホで検索していた。
そこで「あなたの鬱の原因はもしかしてアダルトチルドレン?」みたいなネット記事を見つけた。
読んでみると、当てはまっていた。
うちは機能不全家族だったし、私はアダルトチルドレンのヒーロータイプだった。
今までの人生頑張ってきた。
でもどんなに頑張っても満たされなくて、自分を酷使して精神を壊した。
そして失敗が怖くていろんなことから逃げ出していた。
自分がアダルトチルドレンだと気がついた時、納得した。
欠けていたパズルのピースがハマるような感覚だった。
そして親を憎み、恨んだ。
さっそくアダルトチルドレンの本を図書館で借りて読み出したが、辛くてなかなか読めなかった。
今までの思いもノートに書いていったけど、途中から書けなくなっていった。
その時のノートを見返したら、「もう何も書けない。苦しい。何もしたくない。何もかもどうでもいい」で終わっていた。
人に話したくなって、夫や相談にのるよと言ってくれた友達にも話した。
夫は「何そのミスターチルドレンwww」と茶化してきた。
「よくわかんないから、俺も本読むよ」と言ってくれてけど、本当に読んでくれたのか分からない。
友達からは「親も大変だったんだよ。親なんだから許してあげなよ」
「うちも門限厳しくて嫌だったよ。どこもそんなもんだって」
「虐待なかったらんだからいいじゃん。私は万引きした時に殴られたことあったよ」と言われ、私は気持ちを理解してもらえないと感じてしまった。
今はわかる。どんなに理解してあげようと思っても、育った環境は違うし、自分が経験したことがないことは100パーセント理解してあげることなんて出来ない。
私を否定したわけではなく、私を励ますために言ってくれた思いやりの言葉だってことを。
今なら理解できるけど、精神的に参っている私は、周りがすべて敵に見えた。
私は家族、友達、知り合い全員と連絡をたった。
ラインのプロフィールに「鬱です。返信出来なくてごめんなさい」と書いて、通知を切った。電話には一切出なかかった。